”iPad”の社会的インパクトについて、いろいろな言説が登場してきている。
出版界の救世主になるだとか、
http://ascii.jp/elem/000/000/494/494819/
気晴らし道具となって、人々を思考停止に陥らせるとか。
http://topics.jp.msn.com/digital/gizmodo/column.aspx?articleid=285794
いずれにしても、iPadは「端末」、情報ネットワークの末端のヒューマンインターフェースである。
この端末を生かすも殺すも、
実は背後にある情報ネットワークの出来方と、そこをどういう情報が流れるのかにかかっている。
使い方しだいで、ただの気晴らしの道具になるかもしれないし、
それこそ新しいお金の流れる回路を作り出すかもしれない。
そして多分に”情報化”した今日、忘れられがちなのが、情報流の人格形成作用である。
社会的人格というのは無数の言葉の流れの合流点のようなものだとすれば。
そして社会的人格を日々再生産するのは、この言葉の流れを調整する働きであり、
その働きこそ諸々のメディアが作動しつつ行っていることなのである。
ipadという端末が、言葉の流れを調整する新しい方法をもたらすものかどうか、まだ分からない。
iPadがツイッターなり諸々のSNSなり、インターネット上の言語収集サービスと結びつく限り、
それは人格生産の一契機を担う可能性を持っているといえるだろう。
しかしその点では、従来の携帯電話やiPhoneだって、おなじ可能性を持っているのである。
iPadならではのメディア特性。
画面の大きいiPhoneにとどまらない、新しさとは、どこから生まれてくるのだろうか…。
末端のヒューマンインターフェースの部分が変わることで、
情報を生産し流通させる仕組みそのものが変化することもありうるのである。
ipodの大きな記憶容量が、iTunesの楽曲配信サービスと結びついて、
音楽の流通形態に少なからぬ変化を及ぼしたように。
あの大画面(?)を存分に使いこなした新しいサービスが登場してくれるとおもしろい。
そしてそれが、日々の人格の同一性の素朴な再生産過程を揺るがすような、
恐るべき作用を持つものであることを期待したいところである。
ちなみにわたしはiPadの発売に合わせてMacBookを買った。
なぜならキーボードが標準でついてくるからだ。
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